「私たちは神の筆先…、私たちは神の手の中の小さな道具になる。」

こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月から教会のブログを始めました。教会のことや、聖書のことなどを書いていますが、毎週金曜日は「牧師の本棚から」ということで、牧師が読んできて感動した本や教えられた本などをご紹介したいと思います。

記念すべき1回目は帚木蓬生の「守教」です。この本は昨年から今年にかけて読んだ本の中で、最も感動したものです。キリスト教が伝来した戦国時代の福音を伝えられ、江戸時代の禁教の時代に隠れキリシタンとして信仰を守り通した九州の「奇跡の村」と呼ばれる今村についての歴史小説です。

この小説が他の迫害の時代のものと違うのは、小説の主人公たちが歴史的に見れば名もなき土地の百姓たちだということです。高山右近など戦国時代に生きた有名な人物ではなく、その日その日土地を耕してきた普通の民がどうやって信仰をもち、その信仰を守り通したのか、そのことに迫るものになっています。

この小説の中でたびたび出てくる言葉が冒頭に挙げた「私たちは神の筆先」というものです。日々なす畑仕事もまた神の筆先として行う。だから、いい加減な仕事はしない。また、村の中で苦難があれば助け合う。他所から行き倒れの人が来れば助ける。なぜなら、私たちは神の筆先だから。

この言葉が修道士から人々に伝えられ、その言葉が人から人へと伝えられ、次第にそれが村の基本的なものの考え方となり、禁教の時代も生き続ける。この素朴だけれど、生きた信仰の姿にとても迫られるものがありました。

「私たちは神の筆先」、その信仰の精神は今も私たちを支え、励ますものとなるのではないでしょうか。神様から与えられ、神様の望まれる道具となる。私もまたそのように用いていただきたいと願わされます。