こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月から教会のブログを始めました。教会のことや、聖書のことなどを書いていますが、毎週金曜日は「牧師の本棚から」ということで、牧師が読んできて感動した本や教えられた本などをご紹介したいと思います。

3回目はマンゾーニの「いいなづけ」です。この本は昨今のコロナ禍において注目を浴びた小説の一つです。カミュの「ペスト」ほど大ヒットはしませんでしたが、一部ニュースから有名になりました。

昨年2月にイタリアではコロナの蔓延で休校措置が取られました。その時に、イタリアの高校のスキラーチェ校長先生が「生徒への手紙」をホームページに載せました。そこで、このマンゾーニの「いいなづけ」が紹介され注目を集めました。

 

◯イタリアの校長先生がこの本を引用してコロナ禍の生徒たちに語る

 

この「いいなづけ」は17世紀イタリアでのペストの大流行の賞を描いています。そこで描かれる様子はまさに21世紀の今日起こっていることと同じでした。この校長先生は以下のように語っています。

「外国人やよそ者を危険だと思い込こむ、制御のきかない噂話やデマ、根拠のない治療、生活必需品の奪い合い、(17世紀の混乱の様子は)今朝の新聞から飛び出した言葉を読んでいるように思えてくるのです。」――。イタリアの文豪マンゾーニの『いいなづけ』の一節を紹介しながら、「社会生活や人間関係が毒され、人間らしい行いができなくなることが“大きな危機だ”」と説きました。

(【TVや新聞で話題】コロナに負けないで!世界が感動した、イタリアの校長先生のメッセージ、待望の書籍化。『「これから」の時代を生きる君たちへ』)

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000800.000009728.html

この本は3巻からなる大長編で、登場人物も多く、決して読みやすいものではありませんが、クリスチャンがこのコロナ禍で読むととても励まされると思います。

 

◯本の紹介とあらすじ〜Wikipediaより〜

wikipediaには「いいなづけ」について以下のような紹介がされています。

いいなづけ(伊:I Promessi sposi)は、アレッサンドロ・マンゾーニの長編小説。1827年に刊行された。イタリアではダンテの『神曲』とならぶ国民文学とされる。

17世紀のスペイン統治下の北イタリア農民の姿を描いた歴史小説であるが、マンゾーニはこの小説の執筆を通して近代イタリア語を完成させたと評価されており、イタリア統一運動(リソルジメント)を文化的側面から支える役割も担った。また、1630年頃にミラノを襲った黒死病(ペスト)の記述でも注目されている。

「あらすじ」についてはある方のブログで次のように紹介されていました。

物語の舞台は十七世紀のミラノと近郊の村。ごく簡単にあらすじをまとめると、田舎の青年と娘が結婚しようとした時、娘に横恋慕した暴君がそれを邪魔する。二人はなんとか結婚しようと苦労するが、青年はミラノでパン屋襲撃事件に巻きこまれ、娘は悪党に誘拐されたりの苦難の連続。そうこうしているうちにドイツ傭兵隊が侵入してくるし、ペストが大流行して地獄絵のようになっていく。しかし、最後には青年と娘は結ばれるのであり、悲劇ではない。むしろ、北イタリアの人間を知りつくした物語展開は味わい深く、ユーモアに富んでいる。(清水義範「夫婦で行くイタリア歴史の街々」http://bunko.shueisha.co.jp/serial/shimizu/02_02_01-1.html)

主役の二人の婚約者たち以外にも登場人物が多く、群像劇のような様子もあります。周囲の人たちの生い立ちにも丁寧に物語られるので、その人たちの行動がどのような心理的な元に行われたのかが読み取れます。それゆえに大作になっていて読むのに挫折しそうになるのですが…。私も読むのに中断を挟んで数ヶ月かかりました…。

 

◯悪党の大将を変えた「神の愛」

そのような大作なのですが、たくさんの名場面があり心に残ります。特に私の心をとらえた言葉をご紹介いたします。

「私に愛することを命じ、私の愛情を呼び覚まし、そのあなたに対する愛情によって私自身が燃え尽きなんとしている…そうした気持ちを私に呼び起こした主はどれほどあなたを愛してあなたのことを念じておられることでありましょうか!」(「いいなづけ」中巻P295)

この小説にインノミナートという悪党の大将が出てきます。各地の悪党が恐る大ボスのような感じです。どんな悪事をしていても、誰も文句もいえないような存在でしたが、そんな彼がフェデリーコという枢機卿と対面することになりました。

この悪党の大将インノミナートは、この小説の主人公の女性を誘拐するのですが、その時にこれまでに感じたことのない罪責観に苛まれます。自分の領地の近くまでやってきたフェデリーコ枢機卿という有名な聖職者が来るというので、いてもたってもいられなくなって訪問するのでした。

そこで彼はこのフェデリーコ枢機卿の愛に触れました。フェデリーコは恐ることなく、インノミナートに近づき、「私はあなたを愛しています」と語ります。最初は抵抗していたインノミナートも、次第に心が開かれていき、悔い改めに導かれます。悔い改めた彼は、悪の道から足を洗い、素晴らしい働きをするものに変わります。

何が、インノミナートを変えたのか。それが上に紹介した燃えるような「神の愛」に違いないでしょう。最も悪の道に走っていて、とても神になど愛される価値がないと思っていたインノミナートに迫ってきたのは、裁きの言葉ではなく、神の愛の言葉だったのです。フェデリーコ枢機卿の言葉と姿の中に、まさに神の愛が溢れていたのです。ここは本小説屈指の名場面だと思っています。

 

◯「愛をもってペストに立ち向かえ」

フェデリーコ枢機卿は他にも素晴らしい働きをしているのですが、常に根底にあるのは、この「神の愛」でした。どこまでも神の愛によって動かされ、またそれを届けていく。

ペストが流行する状況においても、聖職者たちに人々を見捨てないで、「愛をもってペストに立ち向かえ」(「いいなづけ」下巻P158)と励まし語りました。そして、聖職者たちはペストの渦中で病人たちを看護していきました。

この本で描かれるペストの状況は凄惨極まるもので、今日のコロナとは比べ物になりません。もちろん、医療体制や福祉の状況も全く異なります。しかし、そこに描かれている病気に立ち向かう人々の姿は今の時代においても通じる人々の心を動かすものがあります。

危機の状況は人間の最も醜いところが現れますが、しかし同時に危機にもかかわらず最も崇高な人間の姿も現れます。クリスチャンはこの「にも関わらず」に生きるものたちです。なぜなら、イエス様がまさに最も危機の状況である十字架において、罪人の赦しを願い、命を与え尽くしてくださったからです。

このインノミナートという一人の罪人を救おうとする神の愛、そして疫病の最中でも人々を救おうとする神の愛。私たちはどんな人にも、どんな状況にも絶望してはいけないことを覚えます。神の愛はどんな人にも、どんな状況にも溢れます。それを信じて、このコロナ禍においても歩みたいと願います。

「いいなづけ」は他にもクリスチャンが考えさせられるところがあるので、また紹介したいと思います。