こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月から教会のブログを始めました。教会のことや、聖書のことなどを書いていますが、毎週金曜日は「牧師の本棚から」ということで、牧師が読んできて感動した本や教えられた本などをご紹介したいと思います。

14回目はP・カヴァノー「大作曲家の信仰と音楽」です。私はクラシック音楽が大好きなのですが、この本はその大好きな作曲家たちの知られざる信仰の姿について知れる素晴らしい1冊だと思います。

バッハやヘンデルといったそもそも宗教曲をたくさん書いた作曲家の信仰も素晴らしいのですが、信仰とはイメージしにくい作曲家のうちにも素晴らしい方が紹介されています。その中でも個人的に元々大好きだったブラームスのちょっと変わっているけれど素敵な信仰、死の床で劇的に改心したショパンについて紹介したいと思います。

 

霊感による真の着想はすべて神から来るーブラームスの信仰

ブラームスは聖書を愛し、「ドイツ・レクイエム」を始め信仰にかかわらる作品をたくさん書いています。「書斎では、暗がりの中でも自分の聖書は見つけられる」と言っているほど、聖書は常にブラームスのそばにありました。

ブラームスは作曲家として有名になってからも質素な生活を好み、誰にでも分け与えることを喜びとしていたと言われています。音楽室の写真などでは厳しい顔に見えますが、幼い子どもが大好きで優しい心の持ち主でした。

それゆえに素朴な信仰かと思いきや、意外と神秘的な信仰にも関心を抱いていたようです。作曲についても次のように語っています。

 

「私は衝動を感じると、自分を造られた方を直接求め、まず初めに、この世で我々の人生に関わる最も大切なことを三つ質問する。ー我々はどこから来たのか、なぜ生きているのか、この後どこへ行くのか」

 

その背景には「霊感による真の着想は全て神から来る」という思想がありました。ブラームスはそうして神様と「直接意思を通じ合って」作曲していたのでした。そのような理性を超えた「霊感」を信じていたからか、超自然現象にも関心を抱いていたようです。それは、ある意味素朴に、「神様の奇跡は今日でも起こる」という信仰からくるものだったようです。

 

死の床での劇的な悔い改めーショパン

ショパンはたくさんの美しいピアノ曲を作曲しました。明るい曲もありますが、「雨だれ」「革命」「別れの曲」といった不安や怒りや悲しみなど、感情に訴えてくる曲が多いように思います。それだからか信仰と直接関連のある曲はあまり思い浮かびません。

しかし、この本を読んで知ったことに、ショパンは死の直前に深く悔い改めて、最後はとても平安に包まれて召されていったということです。ショパンは容態が悪化していった中で、ヤロヴィツキ師という旧知の神父の訪問を受けました。しかし、当初はほとんど信仰に興味を示さなかったそうです。その時のことを振り返り、ヤロヴィツキ師は次のように語っています。

 

「それでも私は、この不従順な魂の上に神の慈悲が勝利をもたらすと確信していた。どのようにしてかは知る術もなかったが、あらゆる手を尽くし、結局唯一の手段として残ったのは祈りであった。」

 

それからしばらくしてショパンが何年もしていなかった告解をしたいと心を開き、告解を終えて赦罪宣言文が語られると「ありがとう!ありがとう!」と神父にしがみついて叫んだというのです。

そこから死に向かっていくのですが、息を引き取るまで信仰の確信を持ち続け、最後は次のように語ったと言われています。

 

「ぼくは神と人とを愛している。死ぬのはとても幸せだ。泣かないでくれ、姉さん。友よ、泣かないでくれ。ぼくは幸せだ。死んでいくみたいだ。さようなら、ぼくのために祈ってくれ!」

 

死の床で幸いだと信じることができる幸いを思います。ショパンは若くして亡くなりました。けれど、その最後に自分の心からの言葉として「幸せだ」と告白できたことは、残されたものとしても一つの慰めになったことと思います。ショパンの曲からではないですが、その人生から悔い改めの素晴らしさを教えられます。

 

多様な信仰があっていい、神様が多様に造られたのだから

この本の中にはそのほか、反キリストと思われがちなワーグナーの中にあった意外な信仰の姿や、40代過ぎてから信仰に目覚めたストラヴィンスキーの様子など興味深い記事がたくさんあります。

その信仰もカトリックからプロテスタント、ロシア正教と幅広いです。それぞれの信仰のスタンスはもちろん違いがあるのですが、根底において同じ神様を信じ、イエス様を愛している姿があります。

多様な信仰があって素晴らしいーそのように読み終えた時に思わされます。それは神様が私たちを多様に造られたから当然と言えば当然です。けれど、どんなに多様であっても、同じ神様を信じているために通じ合えるものがある。それは何と素晴らしいことだろうと思わされます。

作曲家たちの意外な信仰の姿を覚えつつ、その作品を味わってみませんか?

 

これまでに紹介してきた本

1「私たちは神の筆先ー帚木蓬生『守教』」

2「聖書と自然は共に神の言葉から生じているー三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』」
3「愛をもってペストに立ち向かえーマンゾーニ『いいなづけ』」
4「それは果たして愛なのかー三浦綾子『細川ガラシャ夫人』」
5「下から人々を変える福音ータイセン『パウロの弁護人』」
6「大丈夫、私はあなたを知っているー長谷川和夫『ボクはやっと認知症のことがわかった』」
7「AIは信仰をもてるのか?ーカズオ・イシグロ『クララとおひさま』」
8「共通の物語を生きるーオルコット『若草物語』」
9「人間の邪悪さの先にある愛の希望ースコット・ペック『平気でうそをつく人たち』」
10「危機の時に何が『御心』か?ーダニエル・デフォー『ペスト』」
11「綺麗事じゃない福音ー広田叔弘『詩篇を読もう』」
12「旧約聖書は面白い!ー藤本満『エリヤとエリシャ』」
13「愛から溢れる喜びを残したいーエレナ・ポーター『少女ポリアンナ』」
14「多様な信仰でも同じ主イエスを信じてーP・カヴァノー『大作曲家の信仰と音楽』」