おはようございます。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。

今朝の清瀬はとても爽やかで気持ちがいいです。暖かくなると、気持ちも明るくなってきますよね。

コロナの前には、教会の方々と集会の前に、「いいお天気ですね」「チューリップが綺麗に咲きましたね」など、季節にまつわる挨拶をするのが日常でした。一通りそのような雑談をしてから、聖書の話に入ったり、お互いの話になったりしていました。季節にまつわる挨拶は潤滑油のようでした。

私たちの教会では現在オンラインを用いて礼拝や集会をしています。特に私がこのところ意識しているのは、「なるべく雑談をする」「皆さんにも一言は話してもらう」ということです。

オンラインを通して、礼拝や集会が続けられているのは本当に感謝なことです。また、これまで体調のことで教会に集えなかった人が繋がれるようになり、素晴らしい面もあります。不安な時にこそ、形は変わっても同じことを続けるということは本当に大事なことだと思っています。

私たちの教会では、礼拝や分級(小グループの学びと交わり)、平日の集会は全てオンラインで接続しています。礼拝のみ会堂に人数制限をして参加できるようにしていますが、それ以外は全てオンラインで対応しています。

70代、80代の方々も一生懸命スマホを使いこなそうとこの1年間頑張ってくださり、今では若者たちと同じようにオンラインの集会につながっておられます。

オンラインで活動を始めてからずっと思っていたことに、「意識しないと互いに言葉を交わす機会がもてない」ということです。これは思っているよりも、ジワジワとこたえてくるものがあります。

会堂で礼拝や集会をしていたときは、集会の前後で自然と声を掛け合い、変化に気づくことができました。互いに小さなことでも話をして喜んだり、悲しんだりをともにできました。けれど、オンラインではそれが難しい。

「神様を礼拝できれば、それだけでいい。人と人の交わりはあってもなくてもいい」と思う方もおられるかもしれません。しかし、私はそうは思いません。「互いに愛し合いなさい」とイエス様は語られ、十字架によって、イエス様は私たちを結び合わせてくださいました。お互いに神様によって造られた「神のかたち」です。だから、私たちは互いを気遣い、共に祈るという交わりを大事にします。

私は教会の交わりとは、「十字架の交わり」だと思います。十字架は上から下に向かう縦軸と、右と左に伸びる横軸でできています。それは神様と人との交わり(縦)、そして人と人との交わり(横)です。この縦と横の交わりがあるのが教会です。イエス様が結び合わせてくださった十字架の交わりです。

コロナ以前はこの縦と横の交わりが自然とできていました。日曜日に教会に来れば、神様を礼拝して、終われば互いに自然と交わる。お昼ご飯まで残れば、より交わりは深まります。

しかし、今は意識しなくてはこの横の互いの交わりが持てません。いかに自分たちがその何気ない雑談や、声の掛け合いに支えられてきたのかと気づきます。だから、集会に来られる方と交わりたい。雑談をしたい。そう思っています。

自分は交わりを必要としていなくても、誰かは孤独で乾いているかもしれない。だから、その一言は決して小さくない。イエス様がサマリアの女に声をかけられたように、私たちも互いに声を掛け合うものとさせていただきたい、そう願っています。