こんにちは!

 清瀬バステスト教会ではいくつかのグループに分かれて毎週礼拝の後に学びの時をもっています。そのグループの1つで教会の男性メンバーで構成されている「ステパノ会」から、日曜日の礼拝のテーマから学び分かち合ったことを発信していきたいと思います!

 キリスト教に触れたことのない方でもわかるように記事を作っていきますので、お時間のある時にご一読いただけると幸いです。

【聖書個所】

 1:12私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。
1:13私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
1:14私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。
1:15「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
1:16しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
1:17どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。

【内容要約】

 かつてユダヤ教徒としてキリスト教徒を迫害していたパウロはイエス・キリストとの劇的な出会いによって神を信じるものとなり、リーダーとして活躍しました。そのパウロから若いテモテに対して、牧会に関する種々の注意を手紙として伝えました。

 この聖書個所で、救いは神からの一方的な豊かな恵みであるということを伝えます。神は迫害者であったテモテを救いに入れてくれたというパウロの実体験からくるものです。

 ユダヤ教、キリスト教ともに信じる神は同じですが、ユダヤ教の教えは「救いには神から選ばれた民族のみである」という考えに対し、キリスト教は、「イエスが人々の罪を背負って十字架で死んだことで、信じる者はどんな人でも救いに入ることが出来る」という考えです。パウロはこれまでも神に忠実な存在でしたが、イエスの存在は認めておらず、キリスト教徒を迫害しておりました。しかし、イエス・キリストとの出会いによって、信じる神は変わらなくとも、生き方が180度変わりました。

【ステパノ会での学び】

 大きなテーマは、「真実の神に出会う前後でパウロの神様イメージはどのように変わったのか」です。

また、このテーマを基に自分の神様イメージが変わった体験などを分かち合いました。

~パウロの中での神様イメージの変化~

 ・これまでなかった神との交わりというものを体験して、交わりの神を知った

 ・神に対する知識は多く持っていたが、それよりも大きな神の存在を知った

 ・「裁かれる神」から「恵みの神」というように神を別の側面でとらえられるようになった

~自分の神様イメージの変化~

 ・自分が良いと思うことを完成させて助けてくれる方というイメージから、聖書を通してすべての人に救いを与えてくださる方というイメージに変わった。

 ・50代で救われるまで、仕事もプライベートも自分の努力で乗り越えて生きてきたが、打ち勝つことのできない大病にぶつかり、乗り越えたときに神の大きな愛と助けを感じた。

 ・小さい頃のイメージは優しく助けてくださる神様であったが、礼拝は学びを通して、裁かれることもある厳しい神であることを知り、イメージも変わっていった。その後は、礼拝や学びを通して神の様々な豊かな側面を体験している。

 パウロほどの大きな神様イメージの変化はないものの、ステパノ会のメンバーそれぞれが、自分の人生の中で神様のイメージが多少なりとも変わっていく体験をしていることを分かち合うことが出来ました。そのさまざまな体験から神様の豊かさを学び味わう良い時となりました。

皆様が神様に対して描くイメージはどのようなものでしょうか?

Y.H.