みなさんこんにちは☺️牧師の妻です。
昨日は緊急事態宣言解除後初の聖日で、会堂にも久しぶり子供たちが集うことができました。

生き生きと賛美し、競って手を挙げ、楽しそうにクイズに答える子どもたちの姿に、喜びが溢れてきました✨

少し見ない間に背がぐんと伸び、どんどんとできることも増えていく子どもたち。ついこの間まで、赤ちゃんだと思っていたのに‥‥日々めざましい成長を見せてくれる子どもたちです。

そんな子どもたちでも、それぞれの歩みの中で、その子なりの悩みや問題を抱えていたりします。
しかし、こうして幼い頃から教会に集い、「信頼できる方」であるイエス様をおぼえ、祈り、御言葉から教えられる歩みを重ねるなかで、神様の前に実り豊かな幸いな生涯をつかんでいってほしいものです。

さて、我が家には、9歳と5歳、2人の娘がいます。
ふたりとも、とても同じお腹の中から生まれてきたとは思えないほどに、個性豊かな子どもたちです。笑

長女は、女の子らしいものや可愛いものが大好き☺️
家では日々女子力アップのためにストレッチやおしゃれ、そしてとても真面目な性格のため勉強にも励んでいます。
そして、実は隠れ鉄道ファンという意外な一面も‥(あの新幹線『かがやき』に、「かがやきサマ……😍」と言ってうっとり笑)

次女は、生まれた時から動きが力強く、顔も女侍のような表情をしていました。この子は、プリンセスとかも大好きな反面、恐竜やカブトムシ、戦隊モノにも興味津々。そして、時には新撰組に変身してパパに戦いを挑んだりもします。

姉妹喧嘩をしたり、
約束を守らなくてパパやママに怒られたり。
そんなこともある子どもたちですが、
進んでお手伝いをしようとしてくれたり、やさしい言葉をかけてくれたりすると、
親としてもとても嬉しいものです。

そして時に、子どもたちから、ハッとさせられるような信仰の言葉が出てきたりする時に、
目には見えなくても確かにこの子どもたちのうち働いていてくださる、神様の恵みがとても嬉しくなります。

長女は三年生になり、周りのお友達との違いを感じたり、自意識なども強くなってくるなかで、子どもなりに信仰について疑問に思うことなども出てきているようです。
同時に、妹に優しくしたくても、それができない自分。嫉妬心なども生まれ、つい妹に意地悪をしてしまう自分に、「罪の意識」
というものも、芽生えてきているようです。

そんな長女にはいつも、
「自分の力では神様に喜ばれることのできない私たちのために、イエス様は来てくださったんだよ。
素直にごめんなさいって言って、神様に、助けてくださいって、お祈りしてゆけばいいんだよ」
という話をします。

最近は、教会学校でも、人前でお祈りしたりすることを恥ずかしがるような面もでてきた長女ですが、大きくなってからは、時折一人で隠れてお祈りをしているよう。
「今色々お祈りしてきたよ」と、晴れやかな表情で部屋から出てきた時は、
「まさに密室の祈り!(聖書には、隠れたところで神様と一対一で向き合うことの大切さが教えられている箇所があります)」と思い、とても嬉しくなりました。

まだ恥ずかしがらずにお祈りをしていた頃に、意地悪をしてきた男の子のためにお祈りをしていたことがあった長女。
ある日、
「◯◯くんが、最近意地悪しなくて、優しくなっているの! やっぱりイエス様ってほんとにいるんだ!」
と言ってくれた笑顔が忘れられません。
このことは、彼女の小さな信仰の原体験となっているようです☺️

次女は、イエス様の「十字架」のお話が大好き。聖書のお話を読むと言うと、いつもそればかり聞きたがります。
もちろん、十字架は聖書の中で一番大切なお話ですが、親としては、その前後の流れやほかの聖書の色々なお話も聞いて欲しいなと思ってしまうことも。

でも、その理由を聞いてみたとき、
「イエス様が◯◯ちゃん(自分のこと)のためにがんばってくれたから。そのことが嬉しいんだ。◯◯ちゃんイエス様大好きなんだ!」
と🥺
この信仰さえあればいい!✨
と思った瞬間でした。

子どもの信仰にももちろん波がありますし、これから色々なところを通る中で、反発したり、神様から離れてゆく時期もあるかもしれません。
けれども、この心の柔らかな時期に、確かにおられるイエス様の愛に、少しでも多く、触れてもらいたい。

子どもは育ってゆけば、いつか親から離れてゆきます。
そして、親の手の届かないところで色々な経験をし、試練を通り、その中でまた、親の手を超えたところで、神様のお取り扱いを受けてゆくものです。

子育ての20数年というものは、過ぎてみれば本当にあっという間なのだと思います。

今の一番可愛い時期の子どもたちとの日々、
神様からのプレゼントを、日々噛み締めている私なのでした‥‥