皆さんこんにちは。牧師の妻です。
ゴールデンウイーク真っ只中、今日はとても気持ちのいいお天気ですね!玄関脇のお花も日差しを受けてとても元気そう……☺️
◯この世界には、なぜ苦しみや悲しみがあるの?
さて今日は、先週月曜日から始めました4週連続シリーズ、聖書が語る救い「福音」の4つのポイントの二番目、「人間の罪」についてです。
先週月曜日、一つ目のポイントとして、この世界には万物を「創造」した「神」がおられるというお話をしました。物理法則の背後には科学者達もその存在を認めたくなる多くの要素がありましたね。
ちなみにこのシリーズは、「教会学校のお話」となっていますが、ここでは小学校高学年くらいの子供たちに向けた視点でお書きしています😊
では、もし本当にこの世界を「神」が創造したならば、この世界にはなぜこのように悲しみや苦しみ、痛みや病があるのでしょうか。
それは多くの方が抱く疑問ではないでしょうか。
聖書にはその答えが書かれています。それは意外な答えかも知れませんが、それは私たちの「罪」が原因だというのです。
ええっ?! 罪なんて犯してないよ! 泥棒だってしたことないし、そりゃちょっと嘘ついちゃう時とかはあるかも知れないけど、これからも人殺しとかは絶対しないと思うし……と、多くの方は、自分に罪があるなんて言われてもピンときにくいかもしれません。
もしくは、自分の心を深く掘り下げたり、自分の言動や行いの結果を注意深く内省している方は、ああ、自分には罪がある、と深く納得される方もおられるのかもしれません。
聖書でいう「罪」とは、小さなことでは人を傷付けるちょっとした嘘とか、大きなことでは殺人とか、人間が犯すあらゆる間違いの「根本原因」のことを言っているのです。
聖書が語る罪とはこうです。
人間は神に愛され、神とともに歩む存在として造られましたが、神から離れ、自分勝手な道を進みました。
人間が本当の神から離れて歩むことを、聖書では「罪」というのです。
その結果、人間は「嘘」をつくようになり、人を「殺す」ようになり、またこの世界に病や死が入り、多くの争いや苦しみ、悲しみが生れたのだと、聖書は語ります。
◯誰もが「神」となっているこの世界
「罪」の始まりについては、多くの方が一度は聞いたことがあるであろう、エデンの園の話の中によく表されています。
[創世記 3:1〜5]
さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号
さて、またまた一見おとぎ話のような聖書の話。
しかしここには、昔も今も変わらない人間の心の深部の構造が描かれています。
この話の中で、食べると「神のようになる」木の実を、エバとそしてアダムは、蛇にそそのかされて食べてしまいます。
そのことは実は、本当の神様を無視して「自分」が「神」になりたい、「自分」が全ての基準となって善悪を判断し、好き勝手に生きてゆきたい、という人間の心の弱さや、そこに働きかける誘惑を表しているのです。
神様とともに歩む幸いな道が備えられていたのに、自ら誘惑に負け、各々が「己」(それは自分自身の判断で、時に「お金」や「名誉」、または特定の人物に変わったりもします)を神として生きるようになったこの人間の世界。
アメリカ人の子どもがアメリカ人であるように、神から離れたアダムとエバ以来、人は生まれながらには本当の神を知りません。
誰でもそれぞれの目に「正しいと思うこと」をし、「神にしたいもの」を神として選んで(または選ばされて)生きているこの世の中ですが、果たして人々は幸せでしょうか?
テレビをつければ、毎日のように報道される不幸な事件や戦争、そして様々な病‥‥。
私は18歳の時初めて聖書の話を聞きました。
全く聖書や教会とゆかりのない家庭に生まれた私、「創造主」という概念にも、「神に従う」という概念にも、初め大いに抵抗がありました。
しかし、様々な出来事のなか、キリストを信じ、今日まで20年近く(歳がバレますね)主イエスとともに歩んできた結果、私は心の底から証言することができます。
創造主である、本当の神であるイエス様とともに歩む人生は素晴らしい。(もちろん、悲しみや苦しみがなくなるわけではありませんが)どんな苦しみや病、深い悲しみにも勝る大いなる恵みと祝福が、キリストの内にはすべて詰まっている!!と。
それは決っして何かに縛られる窮屈な歩みではなく、キリストに在ってかえって「本当の自由」を手にする道でもあるのです。
さて、来週月曜日はいよいよ、この、生れながらには本当の神を知らない、また、本当の神ではないものを神としてしまっている人間が、もう一度神と共に歩むことが出来るために与えられた「救いの道」についてお話しします。どうぞお楽しみに!☺️
去年、実りすぎた葡萄の重さに耐え切れず枝が折れ、大幅に刈り込みをしました庭の葡萄の木。こんなに葉っぱが出てきました☺️🍇
また美味しい実が食べられるようになるのはいつかな?