みなさんこんにちは! 雨の季節ですね。

先週は休暇のため失礼いたしましたが、今日からまたブログを再開いたします☺️

先々週まで、毎週月曜は牧師の妻である私が、聖書が語る救いの道である「福音」を4つのポイントに分けてお送りしてきました🍀

これまで、

①創造主なる神(この宇宙、そして人間を造られた神様がおられます)

②人間の罪(人間が神から離れ好き勝手な道を歩んだ結果、この世界に悲しみや死が入りました)

③救いの道(私達の罪の身代わりに十字架にかかり、罪により断絶されていた神の人との間を橋渡ししてくださったのがキリストです)

というところまで確認してきました☺️

さあ、今日はいよいよ最後のポイント、

④「信じることによって受け取る」

をお話しいたします✨

 

◯神様からのプレゼント

みなさんは、これまでもらって一番嬉しかったプレゼントは何ですか?🍀

幼い頃、クリスマスの朝に目覚めたら枕元に置かれていた大きなミニーちゃんのぬいぐるみ……、野球のグローブ、結婚指輪……、

それぞれ浮かんでくるものは様々だと思いますが、

私が自分の人生を見渡した時に、1番の贈り物は、やはり

神様からのプレゼントである「イエス様」の存在がまず浮かんできます。

だって、このお方が私の人生に来られてから、私の人生の全てが変わってしまったのですから‥‥✨

このあと少し、私がその「神様からの素晴らしいプレゼント」を受け取るまでのいきさつをお話しいたします。

 

◯この世界の深い闇

18歳でキリストに出会うまで、私はずっと、

「確かなもの」「いつまでも変わらないもの」「奪われることのない安らぎ」を、深いところでずっと求めて生きてきました。

なぜなら、幼い頃、最も愛する、また、確かにそこに存在した母が、容赦ない病という現実の中で、6年間の闘病も虚しく、この世を去ったからです。

そのことは私の心に、埋めることのできない大きな穴をあけ、

この世界には、気づく気づかないに関わらず、逃れることのできない「死」という現実、

そして、どんなに幸せに生きている人でも、ふとしたきっかけで誰もが落とされてしまうかもしれない「深い闇」が存在し,

多くの人はそのことに気づかないだけで、

この世界の根底にはそのようなおそろしい闇の支配があるのだということを

強く意識させるようになりました。

コロナ以前から、日本では毎年二万人の人が自ら命を断ちますし、DVや離婚、虐待、世界や歴史を見渡せば、恐ろしい戦争や迫害が常にあり、その中に、どれほどの人間の言葉にならないような深い苦しみや叫び、耐えられないほどの痛みがあるかということを、母を亡くした12歳の時から、よく考えていました。

高校や大学に入り、部活や友人関係など、毎日の生活が楽しくなっても、深いところで、ずっとその、この世界の根底に流れる恐ろしい「闇」の現実を忘れることができない思いがありました。

そこに解決はなく、いつまた母の死後目の当たりにしていたような耐え難い深い闇の只中に落とされるかわからないという思いが、常にありました。

 

◯初めて聞いた「福音」

そのような中、大学で、それまで出会ったことのないクリスチャンの人々に出会い、私はその「福音」を聞いたのです。

おとぎ話のように感じられる聖書の物語の中に、自分が感じてきた「現実」と重なるものを感じました。

「この世界には確かなものはなにもない」

「すべては変わっていく」

ここまでなら、数ある仏教思想でもよく語られていることです。

しかし聖書では、それら移り行くこの世のものを超越し、

「永遠におられる」

「変わることのない」、

この世界を創造した「神様」という存在がおられ、

「裏切ることのない」

「私達を捨てない」

「完全な愛」で、「永遠に私たちの魂を愛して下さる」こと、

そして、「キリストとともにある人生」は、

「全てが神の計画の中にあり、苦難や試練も全て益とされる」

ということが語られていたのです!!

それは私にとって全く新しい世界であり、驚きでした。

と同時に、母の死を越えて以来、「闇の支配」と同時に、

自分の人生が「何かに導かれている」、また、「運命の力のようななにかがある」ということもどこかで感じてきた自分にとって、もし本当にそのような存在がいるならば、何かとても納得できるものがあるような思いがし、

もしいるならば知りたい、信じてみたい、という思いが生まれました。

そして、よく、「この世界に神がいるというならどうして世の中にはこんなひどい苦しみがあるんだ?」と言う方がおられますが、

聖書には、

「神はこの世界をよきものとして造られ、また人間は愛してくださる神と共に歩むように造られたのに、人間が自ら神から離れたことで、この世界が悲惨なものとなった」

ということが書かれていました。(2つ目のポイントでしたね)

そして神から離れたこの世界には確かに、「闇の支配」(罪と死、また悪魔の支配ということが、聖書で語られています)が存在すること

そして、そこから救い出して下さる方としてのキリストが語られていたのです!!

「神は、私たちを暗闇の圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。新約聖書コロサイ人への手紙1章13節

私たちは、私たちの罪の身代わりに死んで甦られたキリストの十字架を通して、この世界の深い闇の支配から「愛なる神のご支配のもと」に帰ることができるのです。

私にとってそれらのことはまさに「福音(良い知らせ)」でした。

 

◯ただ「信じること(信仰)によって救われる」

それでは、その福音を知った私たちは、どのようにすれば、そのような愛なる神のもとに生きることができるようになるのでしょうか。

それは、「信じること」によってです☺️

私たちは、「信じること」によって神様からの救いのプレゼントを、受け取ることができます。

キリストは、私たちの全ての罪が赦され、神様との真実な親子関係、愛なる神様の支配のもとに歩むことができるために、人の姿をとって地上に来てくださいました

キリストは、人の姿をとって降りてこられた神ご自身であり、「父なる神」「子なるイエス」「聖霊」で三位一体のひとりの神と言われたりしており、

そこは神様なので人間の理解を超えているところなのですか、

信じる者の地上でのすべての歩み、そして地上を去ってからの歩みも、永遠にともに歩んでくださる「救い主」なるお方です。

私たちは、そのイエス様という最高の贈り物を、「信頼すること」により受け取ることができます。

あなたは、道ゆくいかにも怪しげな人からプレゼントを差し出されたら、受け取りますか?

受け取りませんね。

しかし、聖書を通して語られている、この宇宙を創造されたただひとりの神様を、(神様と人間は、人間と蟻んこ以上にはるかにかけ離れた存在なので、当然理解することはできませんが)

よくわからなくても、

「信じます」という、謙虚な思いをもつことによって、私たちは神様が用意しておられる素晴らしい救いを受け取ることができるのです✨

信じるときに、当然葛藤はありました。特に、科学の進んだ現代にあってこのような神話的なものが信じられるのだろうか? という疑問が当然ありました。

しかし、これまでの3回でお話ししてきましたような、科学における視点を持つことができたことは、信じる大きな助けとなりました。

そして、信じようと踏み出そうと知るときに、神様は大きな愛の御手をもって迎えて下さることも、私は知りました。

 

◯まったく新しい歩み

さあ、その救いのプレゼントを受け取るなら、私たちには、同時に素晴らしい約束が与えられます。

その約束とは……

①すべての罪が赦され、神の子どもとされます。(ヨハネの福音書1章12節)

②この世界の闇の支配、そして罪の結果である滅びから救われ、永遠のいのち(地上を去ってからも神様の愛の中で永遠を過ごす)を与えられます。(ヨハネの福音書3章16節)

③キリストが生涯私たちとともに歩み、

ご計画を持って私たちの人生を導き、すべてのことを働かせて益として(良いことに変えて)くださいます。(ローマ人への手紙8章28節)

 

初めてそのような「神」に祈り、信じたときには、

やはり、このような方がおられたのだ‥‥!というような、深いところでの、納得というか、

私の人生の苦しみも喜びも、すべてのことには、意味があり、目的があり、

それは神様の大きなご計画の中にあることであり、

私たち人間は神様と共に歩んだ時に初めて、

完全な愛と安らぎのもと、

与えられた人生の目的を存分に全うできるのだという

言葉にならないような大きな喜びと感動をおぼえました。

なんて、なんて無敵なんでしょう✨

この宇宙を造られた神様がともに歩んでくださり、このような素晴らしい約束を与えてくださるなんて!!🌈✨

 

私は、12歳の時からずっと感じていた「闇の支配」からまさに解放され、

この世界の創造主であり、私たちを真実に愛してくださる方のご支配のもとに入れられたのです!

もちろん、信じたからといって苦難や悲しみがなくなるわけではありません。

試練や苦しみは、神様に愛されているからこそ、あります。

子どもを愛している親が子どもに訓練を与えるのと同じです。

しかしその難を、真実なる神様がともに通ってくださり、

その重荷をともに負ってくださり、

苦難や痛みに勝る大きな愛を、注ぎ続けて下さるとしたらどうでしょうか。

同じ苦しみを通っても、全く安心感が違います。

そして驚いたことに、キリストと共にある人生においては、試練や苦難の中にあっても奪われることのない喜びを持つことができるというのです!!

私がキリストを信じてから、もうすぐ19年の月日が経とうとしています。

私はその歩みの中で、聖書の言葉、そして神様ご自身の愛の真実確かなることを、何度深く味わわされ、感謝に溢れてきたことでしょうか。

そのことについては、以下Twitterアカウントにて、少しずつお話させていただいていますので、よろしければご覧ください。

https://twitter.com/Heavenlygrace77

これまでの4回の「福音とは」シリーズを読まれてみても、やはり信じることを難しく思われる方もおられることと思いますが、それもまた自然なこと✨

神様のなさることは全てが人間の理解を超えていますし、キリストを信じることすら、私たちの力ではなく、聖霊なる神の働きであると聖書は語ります。

「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(コリント人への手紙第一 12章3節)

人間の思いでは、疑いがあっても良いのです。神様はそのような弱い私たちをも、憐んでくださいます。ただ、わからないけど、もし本当なら信じてみたい、もっと知りたい、という思いが、大切なのです。

もし、そのような思いをお持ちになられましたら、是非、当教会またはお近くの教会まで☺️✨⛪️🌈

 

また、今はコロナでなかなか外出することができませんので、当教会ではオンラインを使っての学び、礼拝も行なっております。

ご興味持たれた方は、お問い合わせ(遠隔の方であっても、大丈夫です)いただければと思いますので、よろしくお願いします✨