こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月から教会のブログを始めました。お時間のある時に見ていただけると幸いです。

今日は祝日ですね。祝日関係なくお仕事をなさっている方々もおられることと思いますが、子どもたちはお休みでほっと一安心しているのではないでしょうか。新学期が始まってちょうど疲れが出ているころでしょうからね。緊急事態宣言で思うように外には出られないでしょうが、ここからのゴールデンウィークが良い休息の時となりますように。

今日は毎週水曜日に書こうと思っている「日曜を思う歩み」というシリーズを1日遅れで書きたいと思います。少し立ち止まって、「日曜を思う」時をもちませんか?私たちは日曜日に神様のもとで立ち止まり、休む時をもってスタートします。そして、また日曜日に向かって歩んでいくものたちです。ですから、少し立ち止まって次の日曜日を思い巡らして、歩んでみませんか。

私たちの教会の来週の日曜日の礼拝で読まれる聖書の言葉を紹介させていただき、日曜日への期待をもって週の後半を過ごしていただけると幸いです。

さて、来週の日曜日の礼拝では、ローマ13:8〜10を読みます。

ローマ人への手紙13章

8,だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

9,「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。

10,愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。

「愛は律法を全うする」という力強い言葉に衝撃を受ける

イエス様は最も大事な教えは二つあると教えられました。

マタイの福音書22章

36,「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

37,そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

38,これがたいせつな第一の戒めです。

39,『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

40,律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

この教えは要約すると「神を愛し、人を愛せ」とまとめられます。私たちはこの「神様と私」という縦の関係と「同じ神様に造られた互い」という横の関係の中に生きています。だから、この両方面が必要です。

しかし、パウロはこのローマ書で今日のところで、(律法は)「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されていると語っているのです。

私はこのローマ書の言葉に圧倒される思いがします。もちろん、ローマ書は前半で神様のことを語っているわけですが、それでも律法についてここまではっきりと踏み込んで「愛なんだ!」と語っていることに衝撃を受けるのです。

なんとなく、真面目なクリスチャンは「人ではなく、神様だ!」と言いたくなります。「人よりも、神様を大事にしなきゃ!」と思うものです。けれど、パウロは、この隣人への愛を強調します。

では、愛とはなんだろうか

しかし、ここで立ち止まりたいのは、「愛とは何か」ということです。というのも、私たちの思う愛が本当にパウロが語っているような愛かどうかわからないからです。

DVをする親は「愛しているから殴るのだ」と本当に信じているかもしれない。恋人を「愛しているから自分だけのものにするために殺した」という人もいます。

ここまで行かなくても、パワハラなどは「相手のことを思っていたのに」とか、親が「子供のことを思っていたのに」ということはいくらでもあります。つまり、私たちの愛は歪んでしまっているのです。

愛について考えよう

今日はここまでにしたいと思います。愛について週の後半ご一緒に考えてみませんか?私の配偶者や子供、周りの人々へ「愛だ」と思っているものは、本当に愛なのか。どこか歪んでいないか。このローマ書の言葉に照らしながら考えてみませんか。そして、その愛に欠けている時、どこに愛の源を求めたらいいのか。聖書に聞いてみませんか。

もう一度このローマ書の言葉を思い巡らしたいと思います。

8,だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。

9,「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。

10,愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。