みなさんこんにちは! 牧師の妻です🍀

2023年最初の投稿になりますが、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか☺️

 礼拝案内で予告しておりました通り、先日は、日曜礼拝にてバプテスマ(洗礼式)がありました。

今日はその洗礼式の様子と意義について、皆さんにお届け出来たらと思います。

 洗礼には滴礼(頭部に水滴を垂らします)と浸礼(全身を水に浸します)がありますが、

コロナ禍でしばらく浸礼は自粛していました。

 そして、今回はおよそ3年ぶりで行われることとなった浸礼✨

実は会堂には、この浸礼の時にだけ使われるひみつの(⁈)プールがあります✨会堂前方の床を開けると、出てくるんですよ😊

 でも、どうして信仰を持つとこんなプールでバプテスマ(洗礼)を受けたりするのでしょうか?

 そもそも、バプテスマ(洗礼)には大まかに言って、三つの意味があります。

 

①お葬式(それまでの、「罪の自分」に死ぬ)

 お葬式と言われると、ぎょっとするかも知れませんね(笑)

しかし、私たちの信仰において、この「死」は新しい素晴らしい命への扉であるのです。

 神様の前での自分の罪を自覚し、その罪のためにキリストが十字架で死なれ復活したことを信じる時、私達は神の救いを受け取ることとなりますが、そのとき私たちは、

「罪の自分がキリストとともに死に」キリストとともによみがえるという、霊的な奥義(というとたいそうな感じがしますが、これが、神さまが私たちに備えられた救いの方法なのです)にあずかることとなります。

 そのことのしるしとして、私達は全身を水に沈め、バプテスマ(洗礼)を受けるのです。それは、罪の中にある古い自分の「死」の象徴です。

②誕生日(キリストとともによみがえる)

 信仰によってキリストと結び合わされ、キリストとともに「死んだ」者は、キリストの「復活」にもともにあずかることとなります。

 バプテスマ(洗礼)式で水に沈めた身体を起こすことは、その人が、死から引き上げられ復活の命に生きるキリストとひとつとなることの象徴です。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二5章17節)」

 キリストを信じることは、

罪によって損なわれた古い自分が過ぎ去り、キリストにあるまったく新しい自分に生まれ変わるいうことなのです。その意味で、バプテスマ(洗礼)を受けた日(もしくはキリストを信じた日)は、私たちのもう一つの誕生日となるのです。

 神はこの世界を造られた時、それは「非常に良い(創世記1章)」ものでしたが、やがてこの世界に「罪」が入った(創世記3章)ことで、人間の本来の「神のかたち(創成期1章27節)」がそこなわれていました。

 しかし、私たちが十字架の救いを信じて神にたちかえる時、私たちは神に愛されている本来の自分、ほんとうの人間らしさを取り戻していく歩みへと導かれていくのです。

 

③結婚式(神との、夫婦のような親密な交わりに歩みだす)

 キリストを信じると、私たちは神との親しい交わりうちに導かれていきます。

 それは、親子や(ルカの福音書15章11〜)、夫婦に例えられるような親密さであり、

旧約聖書の時代から、神と神の民イスラエルとの間は婚姻関係として描かれてきました。

 バプテスマ(洗礼)式は私たちにとって、

自分を愛し救ってくださった神との関係を公に告白する結婚式のような場

でもあります。

 親子でも夫婦でも、時間をかけて信頼を育み、時に反抗したり喧嘩をしたり、

それでも仲直りをしたりしながら歩むものですね。

 クリスチャンも、聖書の言葉や日々の祈りのうちに与えられる神の語り掛けを受け、

それに対しありのままの心をもって神に答え(祈り)、

時にぶつかりまた親しく語り合いながら、神とともに歩み、神との交わりを深めていくのです。

     

       🍀     ⛪️     🍀

 バプテスマ(洗礼)式の三つの意味についてともに見てきましたが、いかがでしたでしょうか?

 バプテスマ(洗礼)はあくまでこれらの「しるし」であり、

決して「バプテスマを受けたから救われる」というわけでもなければ

「バプテスマを受けなければ救われていない」ということもありません

 しかし、

バプテスマ(洗礼)はキリストが定められた礼典(マタイの福音書28章19節

であり、信仰告白のしるしとして大切にされるのです。

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

(ローマ人への手紙10章10節)」

 私たちは福音の言葉を聞き、心に信じたときに、十字架の贖いによって、

神の前に現在・過去・未来のすべての罪が赦され、神の子どもとされます。

 そして、教会の信仰の家族の前で、バプテスマ式を通して信仰を告白することで、

公にそのことを確認するのです。

 これで罪がなくなるわけではありませんが、

私たちの罪の身代わりに死んでよみがえって下さったイエス様が、

日々私たちの失敗や欠けを担い、

神と人とに喜ばれる確かな歩みへと導いて下さいます😊✨

🌈バプテスマ(洗礼)式の様子✨

 式の最初に、証(あかし→その方がどのようにキリストに出会ったか、キリストが自分にとってどのような方か)を、洗礼を受ける方が話して下さいます。

 愛のない私たちに、愛する力を与えてくださる、自分が間違った方向に行っても、正してくださる、羊飼いなるイエス様✨

キリストとの出会い、そして与えられた信仰はまさに神からの賜物(贈り物)です✨

 証が終わると、いよいよバプテスマ槽に入ります。

   牧師の質問、「イエスキリストを、罪からの救い主・人生の導き手として信じますか?」に、

     「はい」と答えると、身をかがめ頭まで水に浸かります✨

 寒い季節でしたのでお湯も混ぜたのですが、少し冷たかったでしょうか。

 けれども、寒さも忘れてしまうほど、バプテスマにあずかる恵みと喜びは、大きいものであるかもしれません……😊✨素晴らしいバプテスマ式でした。

 この方の生涯が、神と神の家族(教会の皆さん)との交わりの中に祝福され、主からのよきもので満たされますように!!

また、これをご覧の皆様の上にも、主からの豊かな恵みと幸いを祈ります!!🌈