おはようございます。清瀬バプテスト教会の牧師の松田です。4月から教会のブログを開始しました。今日は日曜日です。そして、今日から緊急事態宣言が始まり、また思うように会堂に集まれなくなってしまいました。
このような時だからこそ、それぞれの場所で、神様を礼拝し、平安と希望をいただけますように。
今日の礼拝で読まれる聖書とそのお話についてシェアいたします。
マタイ13:31〜35
31,イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
32,どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
33,イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」
34,イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。
35,それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」
1.成長の約束は「小さな群れ」にとっての希望
この「からし種」と「パン種」のたとえは、どちらも小さなものが信じられないくらい大きな成長を遂げるということを教えています。天の御国はそのように、今は小さく見えてもやがて大きくなるのだという力強いたとえになっています。解説がいらないくらい分かりやすいたとえではないでしょうか。
マタイの福音書の時代(AD80年頃)の教会は、ローマ帝国の各地に教会ができていった時期ですが、いくつかの都市を除くと、ほとんどが各地で小さな群れでした。立派な教会堂はずっと後の時代のことで、ほとんどは信徒の家で礼拝や集会を行う「家の教会」です。ギリシャやローマのような神殿、またはユダヤ教のような公認の会堂もない、人々の目から見えないまさに「からし種」や「パン種」のように自分たちのことを感じていたことでしょう。そのような小さな群れにとって、「天の御国はこうなるよ」と成長の姿を見せてもらえると、大きな希望になります。
2.「成長する木」「膨らむパン」の表現の不思議(31〜33)cf)ダニエル4:9~12、20~23、創世記12:3
からし種は成長すると大きな木になる。その様子は空の鳥が来て巣を作るほど。素晴らしい例えですが、このイメージは必ずしも良いものではなかったと言われています。
というのも、聖書の中で成長して拡大する「木」というと、ダニエル書のネブカデネザル王の見た夢の中の帝国の姿に重なるからです。大きな大木のようなバビロン帝国、そこに集う鳥や獣と表現される小国たち。帝国というのはまさに大木です。
しかし、ネブカデネザル王は諸国をその手の中に収めるが、やがて傲慢になり、神様に打たれてしまいます。ユダヤ人はこの歴史から帝国というあり方についてはネガティブだと言われています。ユダヤ人は選びの民である自民族の純粋性を追求するので、帝国的なあり方は本来のあるべき姿とはイメージと異なりました。しかし、イエス様は「天の御国は(帝国のような)木のようになる」と語られる。その言葉の中には、排他性ではなく、まるで帝国のように多くの人々を統合するものというイメージがあります。
実際、マタイの福音書の最後のイエス様の大宣教命令は「あらゆる国の人々を弟子としなさい」というものでした。福音は排他的なものではなく、血縁・地縁を超えて広がり続けます。それは何もイエス様が勝手に考え出したことではなく、実は旧約聖書からの一貫した神様の御心でした。創世記12:3でアブラハムに約束されたのはまさに「地上のすべての民族はあなた(アブラハム)によって祝福される」というものでした。アブラハムを選ばれたのは、一人人を通して、世界を呪いから祝福に変えるためでした。ですから、排他的ではなく、むしろ広がるものとして神様はそもそもユダヤ人を選ばれたはずでした。
同様にパン種もあまり肯定的なイメージで使われるものではありませんでした(マタイ16:6~12)。パン種は、気づかないうちに入り込み純粋性を損ねて膨らませるものとして、取り除かないといけないものでした。しかし、イエス様は「天の御国は膨らむパンのようになる」と語られる。人々が気づかないくらい小さなものだが、人々の間で増え広がり、巨大になる。成長する木も膨らむパン種もユダヤ人からは嫌われるようなものですが、そのような増え広がりを見せていくと予告されているのです。
純粋性を追求することは大切ではありますが、福音そのものが内部から変質して膨らんでいく性質をもっています。だからこそ、その膨らみに期待したいのです。
3.将来への確信から、現在を理解する(34〜35)
34〜35は13章の前半の区切りとなっています。そして、これらが一連のものであることを示し、この一連のたとえ話の中に神様の御心があることを教えています。13章の前半には「4つの土地での種まき」「良い麦と毒麦」「からし種とパン種」が語られてきました。これらの文脈から天の御国について総合的な理解をしていく必要があります。
大きくまとめると、「将来への確信から現在を理解する」に言えるのではないでしょうか。私たちは「からし種」と「パン種」のように、基本的に神の国は拡大していくということを信頼していい。しかし、現実には受け入れないものたちがいます、敵がいて邪魔が入ります。しかし、この大きな終わりまでの成長の視座がある時、私たちは現実に向き合う力が湧いてくるように思います。将来は神様が約束してくださっている。だから、「小さな群れよ、恐れることはない」!