マタイの福音書14章
22,それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
23,群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
24,しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
25,すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
26,弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
27,しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
闇夜の荒海に浮かぶ「小舟」である教会
聖書はまず字義的に書かれた通りの意味を受け取ります。この水の上を歩くという奇跡はどんな預言者もできなかった奇跡です。パンを与える奇跡も偉大ですが、パンはモーセが荒野でマナを与えたりエリシャが増やしたりと前例がないわけではありません。しかし、水の上を歩くことは誰もしたことがない。だからこそ、弟子たちは「確かにあなたは神の子です」という告白へ至ります。
しかし、聖書は字義的解釈のみならず、そこに込められた霊的な意味があります。霊的な意味を読み取れると、そこには大きな励ましがあります。
今日のところで注目したいのは「小舟」です。小舟は教会を霊的に表していると言われています。ここの小舟を教会と受け取ると次のような姿が見えてきます。
真暗な夜の海の中を小舟(教会)が悩まされている。向かい風でなかなか前に進まない。しかも、その小舟(教会)にはイエス様がおられない。
それは、まさにマタイの時代の教会の姿と重なります。同胞であるユダヤ人から、また異邦人からも迫害され始めている。さらに教会の内部でも異端などの問題が起こり揺さぶられる。まさに内憂外患でした。そして教会の中にイエス様が見えないように感じる。
イエス様不在の教会に届く「恐るな」の声
いつの時代も教会は様々な問題に悩み、苦しんできました。その中で、何が辛いかと言えば、イエス様が教会に見えないように思われる状況でした。問題が山積して教会の中に希望が見いだせない、先行きどうなるかわからない、まさにそれはイエス様が見えなくなってしまって波に揺さぶられている状態です。一生懸命、船を前に進めようとします。けれど、前に進まない。そんな状態を教会は経験します。
しかし、不在に思われたイエス様が、私たちの想像を超えて不思議なところから助けにきて下さる。そして「しっかりしなさい、わたしだ、恐るな」と声をかけて下さる。
実際、想像を超える神様の介入と思われることがあり、教会は何度も窮地を脱してきました。マタイの教会もそうだったでしょう。教会は「もうダメじゃないか」と思うところを何度も超えてきました。それは、誰か力強いリーダーが船にいたからではありません。イエス様が真夜中の荒海にきてくださったように、真っ暗な時に御言葉でもって小舟である教会に来てくださる。そして、イエス様が来られると波が静まる。前に進めるようになるのです。
教会は今日も様々な波に揺さぶられます。まさに波や向かい風のようなコロナ禍によって、小舟である教会が前に進めないように感じる日々です。そのような状況で小舟である教会の中にイエス様が見えなくなってしまう時がある。だからこそ、今日のイエス様の言葉を小舟の中に響かせる必要があります。
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」
教会はどんな暗い夜の海のような中で揺さぶられても、そこにイエス様は助けてにきて下さる。このイエス様の助けを私たちは信頼していい。
向かい風と波に悩む全ての教会とあなたに、主のことばが平安をもたらしますように…。