詩篇81篇 指揮者のために。ギテトの調べに合わせて。アサフによる

1,われらの力であられる神に喜び歌え。ヤコブの神に喜び叫べ。

2,声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。

3,われらの祭りの日の、新月と満月に、角笛を吹き鳴らせ。

4,それは、イスラエルのためのおきて、ヤコブの神の定めである。

5,神が、エジプトの地に出て行かれたとき、ヨセフの中に、それをあかしとして授けられた。私は、まだ知らなかったことばを聞いた。

 

〜新月と満月に祝う仮庵の祭り〜cf)レビ23:24〜43

この詩篇は、「新月と満月に角笛を吹き鳴らせ」(3)という言葉から、仮庵の祭りの時を想定して書かれていると言われています。仮庵の祭りは、ユダヤ三大祭として今でも祝われていて、今年2021年は9月20日(日)に始まり、27日(月)に終わるということです。

仮庵の祭りは出エジプトの救いの出来事と荒野での神様の導きを感謝して行われます。普段住んでいる家ではなく、木で作った仮庵(テント)生活をして先祖の生活を追体験する時で、その間聖書が読まれ続けます。何度も聞いているはずの聖書の言葉ですが、「知らなかったことば」(5)として御言葉に新しい思いで耳を傾ける時となっているように思われます。

私はちょうど様々な教会で行われる夏のキャンプを思い出しました。普段も日曜日に聖書を読んで聞いていますが、夏のキャンプの時に普段住んでいる場所を離れて、自然豊かな環境の中で聖書の言葉を聞くと、まるで「知らなかったことば」のように新鮮に響きます。聖書の言葉は、何度聞いていても新しい言葉のように響く時があります。

 

〜聞くべき聖書の教えは何か〜

6,「わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。

7,あなたは苦しみのときに、呼び求め、わたしは、あなたを助け出した。わたしは、雷《いかずち》の隠れ場から、あなたに答え、メリバの水のほとりで、あなたをためした。セラ

8,聞け。わが民よ。わたしは、あなたをたしなめよう。イスラエルよ。よくわたしの言うことを聞け。

9,あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。

10,わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。

6節以降のことばは神様のことばとして語られます。おそらく預言者によって語られたのではないかと考えられます。そして、語られるのは出エジプトと荒野の出来事です。主なる神様が奴隷の地から救い出してくださったこと、荒野で水を与えてくださったこと。だから、命じられるのは「あなたのうちに、ほかの神があってはならない」という十戒の第一の戒めです。

「わたしがあなたの神、主である」という言葉には迫ってくるものがないでしょうか。そして、「あなたの口を大きくあけよ。わたしがそれを満たそう」と主は語ってくださっている。主が満たしてくださるのです。

11,しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。

12,それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんぱかりのままに歩かせた。

13,ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。

14,わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」

15,主を憎む者どもは、主にへつらっているが、彼らの刑罰の時は永遠に続く。

16,しかし主は、最良の小麦をイスラエルに食べさせる。「わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。」

 

それにも関わらず、イスラエルの先祖たちは神に逆らい続けました。そして、神様は逆らうものたちをそのままにされた。もし、彼らが従っていたら神が敵を征服させてくださったのに…。最良の小麦で満たしてやるのに…。このように語ることで、主に従うものへの約束で持って閉じられています。

 

〜仮庵の祭りを再発見した歴史〜cf)ネヘミヤ8〜9章

この詩篇自体がいつ書かれていたかは不明ですが、「仮庵の祭り」をキーワードに旧約の歴史について少し触れたいと思います。というのも仮庵の祭り自体はレビ記で定められていたにもかかわらず長い間行われずにいたというのです。仮庵の祭りが復活したのはネヘミヤの時代のようです。レビ記に書かれた祭りを行っていなかったことに、気づいたエズラ・ネヘミヤらによって、祭りの再開がなされたと書かれています。

それはただ祭りを楽しく祝ったのではなく、みんなが集まってまず聖書の言葉を聞いたのです。

「彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した」(ネヘミヤ8:8)

その結果多くの人々が泣いた(同9)とあります。自分たちが神様から離れていたことを気づき、罪深い自分と先祖を悔いたのでしょう。しかし、今や彼らは仮庵の祭りを再開します。神様の定められたところに立ち返ったのです。仮庵を作り、聖書に書いてあるように祭りを祝います。その結果、「非常に大きな喜びがあった」(同17)のです。

 

〜「わたしがあなたを満たそう」という主がおられる〜

この詩篇を「しばらく行われていなかった仮庵の祭りの再開」という文脈で見ると、何か迫ってくるものがあります。しばらく先祖たちも自分たちも神様の言葉を無視して生きてきた。その結果、苦難にあっている。

神様は「わたしがあなたを満たそう」(10、16)と語っていてくださる。とても幸いなメッセージです。しかし、同時にここでは「他の神があってはならない」という基本原則が語られます。そう、主以外に神があってはならないのです。というよりも、他に私たちを満たしてくれるような神などないのです。にも関わらず、自分たちや先祖たちは主以外のものにより頼もうとして、右往左往してしまってきた。結果、満たされずにいるのです。

「わたしがあなたの神、主である」と礼拝のたびごとに、主は迫ってくださっています。主は私たちを満たしたいと待っておられる。だから、私たちはそこに帰るのです。仮庵の祭りはそのような神様に立ち返るための祭りとなったのです。

 

〜年に数度の祭りが私を引き戻す〜

ユダヤ人はネヘミヤの時代までも安息日を毎週守っていました。安息日には御言葉が語られていたでしょう。しかし、それとは別に過越の祭り、七週の祭り、仮庵の祭りと三大祭があり、そこでまた「知らなかったことば」としてまた新たに御言葉を聞く機会があるのです。祭りにはそれぞれ意味があり、歴史を想起し信仰を新たにする機会となります。

クリスチャンはクリスマス、イースター、ペンテコステが三大祭に当たります。それは人として私たちのところに来てくださったイエス様を思い起こし、やはり信仰を新たにする時となる。また、最初に書いたように、仮庵の祭りではありませんが、場所を変えて御言葉を聞く夏のキャンプなどもまた例祭のようなものと言えるでしょう。毎週の礼拝と、また特別な祭りが必要なのです。

新約の私たちにとって思い起こすのは、何よりもイエス様です。そして、イエス様が私を満たしてくださる。イエス様は私たちに良いものを与えようとして地上に来てくださいました。だから、私たちも口を開けていただきます。主が満たしてくださる良いもの、聖霊に満たされることを祈り、必要を満たしてくださることを信じて歩みたいと願います。