こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田です。4月から教会のブログを開始しました。ついに1ヶ月が経ちました!毎日投稿を心掛けてきましたが、こうやって続けられて本当に感謝です。途中で助けてくれる妻がいて、彩を添える写真を提供してくださる教会の方がいて、「読んだよ!」と声をかけてくださるたくさんの方がいて、ここまで続けてこれました。感謝します!
今日の写真は「キンラン」です。清瀬や東村山にはまだ雑木林があって、この時期によく咲いています。よく見るのですが、考えてみると東京でこうやって雑木林が残っていて見ることができるのは当たり前のようでいて、当たり前ではないですよね。保存してくれている方に感謝です。
さて、毎週土曜日は「1週間のふりかえり」という回にしていこうと思っています。1日、1日を忙しく生活していると、何かいつもやるべきことに追われて生きているような気がしないでしょうか。しかし、その1日、1日の中には、大事なことがたくさん詰め込まれていたことでしょう。特に今週は月末でもあったので、1週間と同時に、1ヶ月も振り返ってみませんか。
変わらないために変わり続けている〜新しい生活様式で始まった新年度〜
4月は学校や多くの会社で新年度がスタートする月ですね。私たちの教会も4月始まりになっています。その中でも、今年はコロナ禍を受けとめた上で迎える新年度です。昨年はまだどうなるか訳がわからない状態での新年度でしたが、今年は新しい生活様式が見えてきて、それを踏まえての新年度です。色々と変化をつけながら歩み出されたのではないでしょうか。
私たちの教会では、新年度からいのちのことば社の「聖餐式キット」を使うようになりました。感染対策をしつつも、やはりパンとぶどう液によってイエス様の十字架を思い起こしたい。オンラインであっても同じものを用いて一つ心で聖餐式に与りたい。その想いから導入しました。やはり、あると本当に嬉しいものです。
分子生物学者の福岡伸一さんが「動的平衡」の中で「生命」について次のように書いていらっしゃいます。
「生命は、絶え間なく壊して、作り直すこと以外に、損なわないようにする方法はない」
「生きているということは、変わらないために、変わり続けていること」
聖餐式のやり方を変えるというのは、人によっては抵抗があったかと思います。ましてやオンラインでやるなんていうことは論外と憤る方もいらっしゃるかと思います。そのように考える方を否定しようとは思いません。これまでを大事にされてきたから、愛情を持って語られているのだと思います。ただ、新しいやり方にして、私が感じるのは「本質は変わらない」ということです。
聖餐式の本質はイエス様の十字架の死を思い起こすことによって、過去においては全ての罪は許されていること、現在においてはイエス様と私たちが一つであること、未来において主の祝宴が待っていること、これらを思い起こし記憶することです。パンとぶどう液はそのことを指し示す記号のようなものです。
しかし、具体的に味わうことを通して「実感」します。式文を耳から聞いて呼び起こし、目で見て口から食べて文字通り肉となる。この身体的「実感」は、確信へと繋がります。
この本質において、オンラインの聖餐式は変わらないと私は思います。ただ、形が変わる故の受け取る印象などは変わってくるでしょう。変わったところに目を向けるのか、それとも変わらない本質に目を向けるのか。それはその人によることだと思います。
聖餐式のみならず、祈祷会や学び会などの形を変えていることと思います。その際に、「本質は何か」を問う営みがなされるでしょう。便宜のためだけに変化をするのであれば、見失うことが或いはあるでしょう。けれど、「本質はこれだ!」ということがつかめていれば、変化は決して恐ろしくない。
変化し始めた新年度の1月でした。これからも、私たちは変わらないために、変わり続けていきます。それが「生きている」教会だからです。