「神は仰せられた。『地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽生えさせよ。』そのようになった。」(創世記1:11)
おはようございます。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。
春はお花が色々なところで咲いて、目を楽しませてくれますね。
私たちの教会のお庭でも、たくさんのチューリップやカンパニュラなどが咲いています。
今でこそ、少しずつお花の名前を覚えて、一つの楽しみになっていますが、以前は全く草花に縁のない生活を送っていました。ですから、最初教会でお庭をやらなくてはいけない時に、本当に困ってしまいました。
それでもやってみると、段々と楽しくなっていきました。最初は難しく考えていましたが、チューリップなどは植えれば、基本的に花を咲かせてくれます。当たり前なのかもしれませんが、それがとても嬉しかったのを覚えています。もちろん、水をやったり、肥料をやったりしますが、それでも、綺麗な花を咲かせるような努力をもの凄くしたわけではありません。
球根の中にすでに命があり、ちゃんと咲くように造られている。だから、あとは邪魔しない程度でいいのだとわかりました。
そして、それは何か人のようだとも思います。人はどうして育つのかを考えると、「もうすでにその人のうちに神様が必要なものを備えていてくださるのだ」ということに気づきます。親や教師や牧師が咲かせるわけではない。もうすでに、必要なものは備わっている。あとは邪魔しないように水や肥料をあげるように、関わっていけばいい。そう思うと、とても気持ちが楽になります。
神様は私にもあなたにも必要なものを備えていてくださる。どんな花が咲くかも神様が用意していてくださる。神様がどのような花を咲かせてくださるか期待しながら、歩みたいと思います。
それでは!