こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。これは、教会の方で写真を撮られる方から提供していただいた八重桜です。桜とはいっても、ソメイヨシノとは随分と違って、厚みがあり、儚さよりも、力強さを感じますね。
花が咲いていると、吸い寄せられるように近づいてしまいます。近づいて分かるのは、それは人間だけではなく、虫や鳥も同じです。教会のお庭でも、花の咲く時期になると、虫も鳥もやってきます。
娘と見ていたプリキュアの言葉を借りれば、「生きているって感じ」がします。「生きている」ところには、自ずとまた「生きている」ものが集ってきます。
「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」(マタイ13:31)
天の御国とは、死んだ後に行く「天国」ではないと言われています。そうではなく、イエス様がこの地上に来られ、福音の種を蒔いてくださったことにより、始まった神様が統べ治める「国」です。
クリスチャンはただ死んだ後の天国を待つものたちではなく、地上で始まり、豊かな実を結び、広がっていく天の御国の中に既に生きています。それは、どんなに小さいように見えても、そこから始まり、豊かな生長を遂げるというのです。
しかも、嬉しいのは、「そのためにお前たち頑張れよ!」と言われているのではなく、「天の御国はからし種のようなものだ」と言われている。つまり、神様の国は見えないような小さいところから始まるけれど、その中にすでに大きく成長するためのプログラムはすでに組み込まれている。だから、私たちはその神様の治める国の中にとどまる鳥のようでいい。
そう聞くと、ただ何もしないように聞こえるかもしれませんが、鳥が木に巣を作り、そこを土台として生きていれば、自ずと他の虫を運んできたり、その過程で、色々な花粉を身につけたりして、また世界は動いていきます。
天の御国はすでに蒔かれている。そして、蒔かれた種のうちには命があり、プログラムに従って動き出す。聖書の言葉を読み、イエス様のうちにとどまっているとき、何もしていないでただ生きているだけのように見えて、私たちのうちに蒔かれた種は動き出します。
そして、生きている人は生きているところに集います。教会はそのような生きているイエス様の木の周りにつながり、とどまる人たちの集まりです。そこには生の充満があります。イエス様のうちにある生は、私たちを生かし、また他の人を生かすものです。