こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月からブログを始めました。今日で3週間になります。少しずつ型も見えてきたかなと思いつつやってきています。
毎週木曜日は「ヘブル書からのショートメッセージ」を書こうと思っています。教会で毎週行っている水曜日と木曜日の集会でこのヘブル書を続けて読んでいますので、そのエッセンスがお伝えできればと思っています。今週はヘブル10:26〜39を読みました。その中でも、35、36節の言葉に耳を傾けてみます。
35,ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
36,あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
信仰生活が長くなると、マンネリ化してしまうことがあります。また、日本では宗教の自由があるとはいえ、宗教自体が敬遠されている国ですので、人から何か言われるのではないかと恐れてしまう心もあるかもしれません。聖書を読んでいても、礼拝に行っても、何も変わらないように感じてしまう、そんな時期が信仰生活にはあるものです。
ヘブル書は、そのようなマンネリ化したクリスチャンたちを励ますために書かれています。ここで説教者(著者)は、「あなた方の確信を投げ捨ててはなりません」とはっきりと語ります。「それは大きな報いをもたらすもの」だとも語ります。
この投げ捨ててはならない確信とは、将来に関する希望です。特にヘブル書では、クリスチャンはいずれイエス様と共に、新天新地を相続するのだと力強く語ります。今、それを見ることができなくても、それはどんなに素晴らしい約束であるかを考えなさいというのです。
地上での私たちの年月は80年、90年くらいのものです。長生きできても100年くらいです。しかし、信仰をもったものが受け継ぐ新天新地は永遠です。それは比べ物にならない。しかも、ただ生きるのではなく、私たちは神の子として、イエス様と共に地を治めるのです。はるかに素晴らしいものが待っている。
「目先の100円を選ぶか、来週の1000円を選ぶか」というようなものではないくらい、はるかに素晴らしいものが待っています。だから、この確信を捨ててはいけないのです。
もちろん、信仰は将来のことだけではありません。現在に関わる素晴らしい恵みがあります。ヘブル書は特に、「神に近づくものとされた」という素晴らしいメッセージを語ります。神様は遠くにいて、私たちのことに関心がないような方ではありません。イエス様の十字架の贖いによって、神様と私たちとを隔てていたものは取り去られました。今、私たちはすでに信仰を持って、神に近づくものとされています。
信仰は見えない現在の状態、そして未来の約束を信じることだとヘブル書はこれから語っていきます。見えないものを信じる。それは一人でできるものではありません。互いに見えないけれど、確かにおられる主を指し示し合う。それが教会です。誰かが、希望が見えなくなっている時にも、誰かがその希望を信じて語り続ける。そのことで支えられてきます。
互いに励まし合い、与えられた確信を喜び、歩めますように!