こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。緊急事態宣言が延長され不自由な日が続きますね。ただ、実際感染者は増えているようで、教会の病院関係者の方から厳しい状況を教えていただき、より気をつけて歩みたいと思わされています。

毎週木曜日は「ヘブル書からのショートメッセージ」を書こうと思っています。教会で毎週行っている水曜日と木曜日の集会でこのヘブル書を続けて読んでいますので、そのエッセンスがお伝えできればと思っています。今週はヘブル11:8〜22を読みました。ヘブル11章は信仰偉人伝のように、たくさんの旧約の信仰者たちの姿が「信仰によって」という言葉と共に紹介されていますが、今日のところはアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフといういわゆる族長時代が取り上げられています。

 

「信仰の人々として死ぬ」とは?

この族長時代の信仰の姿勢は次のように要約されています。

ヘブル人への手紙11章

13,これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

14,彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。

15,もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。

16,しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。

アブラハムは神様から2つの約束を与えられ、生まれ故郷を後にしました。その約束とは「土地と子孫」です。しかし、アブラハムは生きているうちには、土地はほとんど得られませんでした。先住民のカナン人がそこにいて、自分は旅人のように住んでいただけです。さらに、子どももわずかにイサクだけしか自分の手元には残りませんでした。

生きているうちに神様の約束は実現しなかったのです。もし、これが人間と人間の間の約束であれば、生きているうちに約束が果たされなければ「騙された!」ということにならないでしょうか。アブラハムやその子どもたちは、「騙された!」とは思っていません。そうではなく、死ぬ時にも約束を信じていた、それが彼らの信仰の姿だったのだというのです。

 

約束が破綻しそうな時にも、なお未来を信じる

その信仰の姿勢は子どもたちに受け継がれていきました。

ヘブル人への手紙11章

20,信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。

21,信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。

22,信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。

 

アブラハムの息子であるイサクがヤコブとエサウを祝福した時というのは、絶望的に見える状況でした。自分の死を予感して、長男エサウを祝福しようとした時に、次男ヤコブがエサウのふりをして祝福を掠め奪うという事件が起こりました。それゆえに、兄エサウは弟ヤコブを殺そうとする。殺されるかもしれないということで、ヤコブはお母さんであるリベカの故郷に避難することになる。

20節のイサクの祝福とは、その時の送り出す時の祝福です。ここでは既に騙されたことを知った上で、改めて父イサクはヤコブを祝福しています。オリジナルの創世記を開いてみましょう。

創世記28章

1,イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じて言った。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。

2,さあ、立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。

3,全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。

4,神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」

5,こうしてイサクはヤコブを送り出した。…

 

父である自分を騙し、一家をバラバラにしたヤコブを遠く親戚の家に送り出す。とても祝福できる状況ではありませんでした。しかも、遠く親戚のところに行ったら、もう帰ってこないかもしれません。それでも、イサクは神様を信じて送り出しました。

客観的に見ると、約束はだめになるかもしれないという状況でした。祝福を受け取る後継者ヤコブは遠くに行き、家族はバラバラ。それでもイサクは神様が約束していた未来を信じていたのです。神様が与えてくださった約束がダメになったように見える時にも、なお神様を信じてお委ねしました。イサクもまた「騙された!」と思わず、信じ続けました。

 

約束を信じる力が未来を開く

人からどう思われようが、イサクはそのように信じて祝福して送りました。そして、確かにイサクの信じたようになったのです!

息子ヤコブは苦労しましたが、多くの子どもたちと共に戻ってきました。その後も、ヤコブからヨセフへ、ヨセフからその子孫へという約束のバトンタッチの時にも、「もうダメじゃないか」と思われる状況に何度も直面しますそれでも、確かにこの約束は神様の力によって、守られ進んでいきました。

そして、今民族的か霊的かを問わなければ自らを「アブラハムの子孫」と信じるものたちは世界中に溢れています。神様の約束は確かに完成へと向かっています。

完成へと向かっているというのは、まだ約束は完全に成就はしていないからです。約束の完全なる成就とは、約束された「天の故郷」が地にやってくることだからです。クリスチャンもまたその天の故郷が「この地になりますように」と祈り続けるものたちです。

未来への希望が持てるかどうかは、今の生き方を大きく左右するでしょう。どんな時にも希望が持てれば、苦難の中でも人は生きる力をいただけます。逆に希望がなければ、非常時には絶望してしまい生きる気力を失ってしまいます。

神様は私たちに約束をなお与えてくださっています。それは先を信じる力、未来を信じる力になります。

環境破壊、格差の増大、AIによる人間無用化の到来…、悲観的なキーワードがニュースでは語られます。これから先の未来に生まれる子がかわいそうだと言われます。しかし、私はそのような状況でも、やはり未来を信じます。それは、神様が約束してくださっている未来だからです。人間の思いを遥かに超えて、神様は道を開いてくださる。だから、私は希望を失いません。そして、そのように信じてきた信仰の先輩たちがいる。その背中に倣いたいと思います。

聖書には、この信じ得ない時に未来を信じる希望があります。イエス様が私の、そしてあなたの未来への希望となってくださいます。