こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。ここ数日清瀬近辺では雨が多く、いよいよ梅雨らしくなってきました。ジメジメするのは嫌ですが、草花が雨に濡れるこの時期の姿はなかなかいいですよね。

毎週木曜日は「ヘブル書からのショートメッセージ」をまとめています。教会で毎週水曜日と木曜日の集会でヘブル書を続けて読んでいて、そのエッセンスをお伝えできればと思っています。

今週はヘブル12:4〜17を読みました。特に12〜13節に注目しましょう。

ヘブル人への手紙12章

12,ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。

13,また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。

 

弱り果てた時こそチャンス!

ヘブル書の読者たちは道なき道を歩んでいるように思っていたのではないかと思います。彼らはイエス様を信じてからある程度の年月が経っています。その初めの頃は血気盛んに、迫害があっても耐えてきたとあります。その道は確かに踏み固められてきています。

けれど、思ったよりもその道は長いのです。まだゴールは先のように感じて、疲れ果ててしまっている。「もうダメだ」と集まりから離れていってしまうものたちが現れている。次第に集まる人が少なくなっていく様子を見て、座り込んでしまう。そういうことが私たちの信仰生活にもあるのではないでしょうか。

しかし、弱り果ててしまった時こそチャンスなのです。ヘブル書は信仰のさまざまな試練を、「訓練、トレーニング」と捉えています。トレーニングは力を使い果たしてぐったりしているその次が大事になってきます。動けない時は、休めばいい。けれど、休んだ後立ち上がるならば、前の時以上に力をつけています。前には耐えられないと思っていた動きができるようになる。それこそトレーニングの成果です。

信仰者もぐったりして疲れ切って動けない時があってもいい。しかし、そこで旅をやめてしまうのではなく、また立ち上がるのならば訓練された人として前には結ぶことができなかった豊かな「平安な義の実」を結ぶことができます。

 

先立つ主イエスにすがってその日その日を歩む

道は長く続いているように思います。しかし、大事なのはその日その日の歩みです。目の前の一歩です。目の前におられるのは主イエスです。

ヘブル人への手紙12章

1,こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

2,信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

3,あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

主イエスが先立ち歩んでくださっています。主イエスもまた苦難の先に栄光が待っていました。私たちも主にある栄光が待っていることを信じて、再び立ち上がる力をいただきたいと願います。主のトレーニングは決して無駄になることはありません。