ヘブル人への手紙13章
4,結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行う者とをさばかれるからです。
5,金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
6,そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
ヘブル書の説教者は、「寝床を汚すな」「金銭を愛するな」という性と金銭についての注意を与えます。どちらも当然大事なことであり、誰もが「そうだ」と思うことでしょう。しかし、このヘブル書の説教者はここでその理由を語ります。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
驚きませんか?不倫をするな、金銭を愛するな、その時にかける声かけが「イエス様はあなたを決して見捨てないよ」という言葉なのです。
普通は「不倫をするな、そんなことすれば家庭は壊れ、あなたは社会的にも信用をなくす」とか「金銭を愛するな、お金はむしろ争いをもたらし、平安になど暮らせない」などと脅かすような言葉をかけるのではないでしょうか。
しかし、ヘブル書の説教者は違うのです。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
説教者は知っています。なぜ、不倫をしてしまうのか、なぜ金銭を愛してしまうのか。その根底にあるのは、「不安」があると。自分の伴侶は自分に愛想をつかしてしまうかもしれない。自分が一人に愛され続けられるなんて思えない。お金がなくなれば、誰も自分を助けてなんてくれない。お金がなくなれば、誰も尊敬してくれない、大切にしてくれない。
「不安」こそが、私たちを罪に走らせる。その不安感が解消されずに、罪から離れることはできない。いくら罪がもたらす悲劇を語っても、それ以上に不安があるからやめられないのです。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
イエス様があなたを見捨てることはない。だから、もうこれ以上不安から免れようと誰かを求めなくていい。人がいかにあなたから離れても、イエス様はいつまでもあなたと共にいてくださる。金銭がなくなっても、イエス様があなたを養ってくださる。
だから、安心して、罪を握りしめている手を離してごらん。イエス様は私たちが罪に走ってしまう弱さを分かってくださいます。その上で、受けとめてくださるのです。
ヘブル人への手紙4章
15,私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
16,ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
罪をただ罪と裁くのは簡単です。しかし、その罪を犯してしまう人の心の弱さ、不安、そこまで受けとめてくださる方がイエス様です。罪の弱さを抱えたままイエス様のところにとどまろう。イエス様がその深いところを癒し、慰めてくださいますから。