こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月から教会のブログを始めました。お時間のある時に見ていただけると幸いです。
毎週水曜日は「日曜を思う歩み」というシリーズで書いています。週の半ばの水曜日に、少し立ち止まって、「日曜を思う」時をもちませんか?私たちは日曜日に神様のもとで立ち止まり、休む時をもってスタートします。そして、また日曜日に向かって歩んでいくものたちです。ですから、少し立ち止まって次の日曜日を思い巡らして、歩んでみませんか。
そして、来週の日曜日は緊急事態宣言解除後、最初の礼拝です。教会に行ってみたいという方を心から歓迎いたします。どうぞお越しください。日曜日に語られる聖書のことばのエッセンスをお知らせします。
私たちの教会では来週の日曜日はマタイ14:1〜12を読みます。
恐れに支配された支配者ヘロデ
マタイの福音書 14章
1,そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、
2,侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」
3,実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。
4,それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です」と言い張ったからである。
5,ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。
6,たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。
7,それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。
8,ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」
9,王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。
10,彼は人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
11,そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。
12,それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。
(聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会)
ヘロデは恐れていました。イエス様の噂を聞いた時に、「自分が殺したバプテスマのヨハネがよみがえった!」などと考えてしまうくらい、不安や恐れに支配されていたのです。
ヘロデは領主として支配する側の人物です。けれど、彼は実質的に支配していたのではなく、支配されていたのです。自分のコントロールできない欲望に、先を考えないで発した無茶な約束に。結果的に、彼は物事を正しく理解できず、不安と恐れに支配されている。
これが地上の支配者の姿です。いや、多くの人間のうちにある姿です。自分をコントロールできず、欲望に支配され、周りに振り回され、また自分も周りを振り回す。憐れな罪人の姿です。
愛には恐れがない
では、どうすればこの不安や恐れから逃れることができるのでしょうか。それは愛です。愛には恐れがありません。
ヨハネの手紙 第一4章
18,愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
19,私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
(聖書 新改訳©2003新日本聖書刊行会)
地上の支配者はヘロデのように恐れで持って支配しようとし、自分自身も恐れに支配されています。しかし、本当の支配者、統治者である神は恐れではなく、愛で私たちを治めてくださいます。そこには刑罰が伴いません。
私たちは赦されました。もはや刑罰を恐れなくていい。その愛に包まれる時、私たちは真の平安、自分自身を主の愛の支配の元で治めるようになります。
私たち自身のうちにはこの愛がありません。あってもすぐに尽きてしまいます。だから、イエス様の元に向かいます。主イエスのうちに愛があります。愛の支配が私たちを覆いますように。