こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月から教会のブログを始めました。お時間のある時に見ていただけると幸いです。

毎週水曜日は「日曜を思う歩み」というシリーズで書いています。週の半ばの水曜日に、少し立ち止まって、「日曜を思う」時をもちませんか?私たちは日曜日に神様のもとで立ち止まり、休む時をもってスタートします。そして、また日曜日に向かって歩んでいくものたちです。ですから、少し立ち止まって次の日曜日を思い巡らして、歩んでみませんか。

私たちの教会では来週の礼拝においてマタイ14:13〜21が読まれます。有名な五千人にパンと魚を分け与えられる奇跡の場面です。

マタイの福音書14章

13,イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。

14,イエスは舟から上がると、多くの群衆を見、彼らを深くあわれんで、彼らの病気をいやされた。

15,夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」

16,しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」

17,しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」

18,すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」

19,そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。

20,人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。

21,食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。

 

イエス様ってあたたかい〜ヘロデの恐怖支配からイエス様の元へ〜

バプテスマのヨハネの死の知らせを聞いて、イエス様は寂しいところへと退かれました。しかし、そのイエス様を追いかけて、ヘロデの支配から逃れてついてくるものたちが大勢いたのです。

その行動はとてもよくわかります。なぜなら、ヘロデの元には恐怖があり、いつ何を奪われるかわからないからです。ヘロデとその周りのものたちの気分次第で命さえ奪われてしまうかもしれない。そんな不安なところにはいたくありません。

だからイエス様のもとに身を避ける人たちがいたのです。しかもそこには病気などで苦しんでいる人たちもいたようです。イエス様はそんな人々を憐れみ、病気を癒し支えてくださったのです。そればかりか夕方になって腹をすかせていた人々にパンまで分け与えてくださった。

イエス様ってあたたかい。この五千人のパンの奇蹟はこのようにヘロデとの対比で読まれる時、イエス様のあたたかさが際立ってくるように感じます。

領主ヘロデは自分も周りもコントロールできませんでした。そんな支配者のもとにいる人々は不安しかありません。それに対してイエス様は優しい。ついてくるものを拒まず、解散させず、指導料を取らずに、むしろ与えてくださるのです。しかも、当時は宗教行事に参加することが許されなかった女性と子どももそこにいて養われていました。イエス様はどんなものにも優しく、あたたかいのです。

 

真の王は奪う方ではなく与えて下さるお方

このパンの奇蹟には荒野でマナを与えてくださった出エジプトの出来事思い起こさせ、イエス様が「モーセのような預言者」であることも含まれています。また十字架の直前の最後の晩餐でパンとぶどう酒によってイエス様のからだと血とが与えられることも想起させられます。

そんなたくさんの意味が込められているこの奇蹟ですが、やはり一番受け取りたいのは「イエス様ってあたたかい」方だということではないでしょうか。王である方なのに奪うのではなく与えてくださる。情緒不安定で支離滅裂な行動をとるような支配者ではない。一番弱いものたちの必要を知って、与えて下さる王なのです。イエス様の元にいるとあたたかいのです。

 

本当に必要なものがあればいい

ただ、与えてくださるものは「パンと魚」という素朴なものだったことも覚えておきたいと思います。ヘロデ的な地上での豪華絢爛な食卓ではありませんでした。けれど、その食卓には不安と恐れはありません。そこにはあたたかいイエス様がおられ、イエス様が結び合わせてくださる神の家族がいる。一緒に喜んで満足できる群れがある。それで十分ではないでしょうか。

マタイの福音書6章

31,そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

32,こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

33,だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

34,だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

本当に必要な食べ物があり、本当に大事な方が共にいて下さるのであれば、それで十分。あたたかいイエス様がおられる。必要なものはこの方との元にいれば与えられます。