こんにちは。清瀬バプテスト教会の牧師の松田真之介です。この4月から教会のブログを始めました。教会のことや、聖書のことなどを書いていますが、毎週金曜日は「牧師の本棚から」ということで、牧師が読んできて感動した本や教えられた本などをご紹介したいと思います。

16回目はリチャード・リシャー編「説教をめぐる知恵の言葉」です。これは「上下巻合わせて60名近い神学者たちの言葉を集めたキリスト教説教学資料集」と帯文に紹介されていますが、ただの資料集だとは思いません。古今東西、神様に仕えてきた「説教者たち」による現代の説教者たちへの励ましの言葉のように感じます。

一人の著者による「説教とは」という体系的なものではなく、時代も地域も違う人物が説教について語るアンソロジーです。しかし、だからと言ってバラバラではなく、同じ主イエスを指し示そうとしている。不思議な共通性を感じさせてくれます。

特にこの中から、私自身が影響を大きく受けた二人の説教者たちの言葉を紹介させていただきます。

 

説教に預言者的イマジネーションを!ーウォルター・ブリュッゲマン

ブリュッゲマンはとても有名な旧約学者です。ただの学者ではなく、学問の世界と教会とを結びつけ、現代の説教者も旧約の預言者たちが語ったような働きをする必要性を語ります。

預言者がしてきたこととは、その時代の世界の欺瞞を暴き告発することと、神様がもたらしてくださる希望のメッセージを語ることです。ブリュッゲマンはこの「希望を語る」ということについて次のように述べています。

ブリュッゲマンはこの希望について語るとは、バビロン捕囚の中にいる民について希望を語るようなものだとします。預言者は神がイスラエルを捨てられたかのように見える現実の意味や、バビロンとは一体何であるのかを語ります。それは厳しい現実を突きつけるものであります。しかし、なお神が放棄されたように見える時にさえ、神は実は放棄しておられないと信じ抜く希望であると言います。

 

「希望についての説教は説明的で科学的議論のようであろうはずがない。むしろ、絶望の中にある人々にあらゆる面で触れていくという意味で抒情的でなければならない。しかしながら、それ以上に希望についての説教は基本的に神学的でなければならない。…それは究極的に神と私たちの間のことであり、私たちの信実をも色あせたものとしてしまうような神の信実についてのことである。」

 

説教の言葉はただの現実逃避の安定剤ではありません。厳しい現実を直視すると同時に、その厳しい現実の只中で立ち上ってくる神の信実を語る。暗闇の中でこそ光は輝きます。ブリュッゲマンの言葉はそのような説教者の役割に気づかせてくれました。

 

啓示された神は信頼できる!ーリチャード・B・ヘイズ

リチャード・ヘイズは新約学の学者ですが、「教会と学会の間を容易に移動する」と言われるように教会に向けた力強い言葉を語ってくれています。特に現代の行き過ぎた批評学が人々を「疑いの巨人」にしてしまったことに警鐘をならします。

説教者は聖書を語るものです。ですから説教者が聖書をどのように受け止めているのかは語る言葉に大きく影響していきます。もし、聖書を常に疑いの眼差しで持ってしか読めなかったら、語る言葉もまた変わってきます。疑ってはいけないというわけではありませんが、それを超えた基本的な語られた言葉への信頼が大事であることを語ります。

 

「正しく用いられた、疑いの解釈学が、今の時代のために聖書を解釈しようとする試みにおいて本来の位置を占めたとしても、信頼の解釈学もまた必要であり、主要なものだという議論を、私はしたいと思う。」

 

解放の神学やフェミニズム神学など様々な立場からの聖書解釈があっていいけれども、基本的に「神が語られたことは信頼できる」という姿勢は重要なものだともう一度語ろうとしています。これが現場の説教者ではなく、新約学の学者であるヘイズが語るだけに説得力があります。

ヘイズはローマ書を引用しながら、アブラハムのピスティス(信仰=信頼・忠実)について語ります。

 

「パウロによれば、それにもかかわらず、アブラハムは自分の疑いと格闘し、自分自身の経験を無視して、懐疑的な態度を拒否し、神の約束にしがみついた。…信仰とは、あらゆる人間の経験を、神の言葉に対する信頼から、解釈することなのだ。」

 

このようにヘイズは、説教者が疑いを持ちつつも、それを克服し、与えられた聖書を信頼することの大切さを語ります。そして、それは復活信仰へと繋がります。

 

「信頼をもって解釈することは、復活を告げる言葉を信じていながら、まだ死が神に服従するのを見ていない、全ての人にとって、決定的に重要である。信頼の解釈学は、詳しく調べれば死と復活の解釈学であることがわかる。…神に対する信頼は常識を死に至らせる。そして、復活のみが私たちの信仰を実証してくれるのである。」

 

説教はその時代の社会的常識や神学によって揺さぶられるところがあります。しかし、時代は変わり様々な神学が現れようと、聖書は信頼できる神のことばであると、説教者は常に心に留めておきたいと思わされます。聖書は旧約から新約まで一貫して神への信仰を語っています。だからこそ、まず説教者が信頼すること、当たり前のようですが、そこから始まります。

 

説教者の群れの励ましの声を聞いて

私はこの本を神学校の4年生の時に読みました。これから牧会現場に出て、説教者になろうとする私にとって、歴史の中の説教者60名たちが力強く励ましてくれているように感じ、勇気づけられたのを思い出します。

この「説教をめぐる知恵の言葉」は原題は「The Company of Preachers(説教者の群れ)」です。説教者は時に孤独を覚えます。教会内を「語るもの」と「聞くもの」に分けたときに、牧師一人が「語るもの」であるということはよくあります。週日説教について孤独で取り組むとき、迷ったり、混乱したりすることもあります。その時に、この本は「説教者の群れ」の姿を見せてくれるようで、「説教で悩むのはあなた一人ではないよ」と言ってくれているようです。そして「さあ、勇気を出して語りなさい!」と背中を押してくれます。

この本には様々な説教についての考え方やアプローチが出てきます。その多様性がとても豊かに感じます。「この考えでないとダメだ!」というのではなく、神様が与えてくださったそれぞれの聖霊からくる思索が、また新しい説教への思いを形造ってくれるように感じます。

まだまだ私も説教で葛藤するものですが、語らせてくださる神様を信頼しながら、聖霊の導きによって語り続けたいと願わされます。取り巻いている多くの説教者の群れを感じながら…。

 

これまでに紹介してきた本

1「私たちは神の筆先ー帚木蓬生『守教』」
2「聖書と自然は共に神の言葉から生じているー三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』」
3「愛をもってペストに立ち向かえーマンゾーニ『いいなづけ』」
4「それは果たして愛なのかー三浦綾子『細川ガラシャ夫人』」
5「下から人々を変える福音ータイセン『パウロの弁護人』」
6「大丈夫、私はあなたを知っているー長谷川和夫『ボクはやっと認知症のことがわかった』」
7「AIは信仰をもてるのか?ーカズオ・イシグロ『クララとおひさま』」
8「共通の物語を生きるーオルコット『若草物語』」
9「人間の邪悪さの先にある愛の希望ースコット・ペック『平気でうそをつく人たち』」
10「危機の時に何が『御心』か?ーダニエル・デフォー『ペスト』」
11「綺麗事じゃない福音ー広田叔弘『詩篇を読もう』」
12「旧約聖書は面白い!ー藤本満『エリヤとエリシャ』」
13「愛から溢れる喜びを残したいーエレナ・ポーター『少女ポリアンナ』」
14「多様な信仰でも同じ主イエスを信じてーP・カヴァノー『大作曲家の信仰と音楽』」
15「愛する家族の喪失に向き合うー平野啓一郎『本心』」